朝方の山月記部 🌓⛰🐅

1 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 04:45:54.26 ID:BPYGru+R0.net
ほな

74 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:29:20.23 ID:BPYGru+R0.net

 一日、城樓から下の街々を眺めてゐると、一ヶ所甚だ雜然とした陋穢な一劃が目に付いた。侍臣に問へば戎人の部落だといふ。戎人とは西方化外の民の血を引いた異種族である。

眼障りだから取拂へと莊公は命じ、都門の外十里の地に放逐させることにした。幼を負ひ老を曳き、家財道具を車に積んだ賤民共が陸續と都門の外へ出て行く。
役人に追立てられて慌て惑ふ状[さま]が、城樓の上からも一々見て取れる。追立てられる群集の中に一人、際立つて髮の美しく豐かな女がゐるのを、莊公は見付けた。
直ぐに人を遣つて其の女を呼ばせる。戎人己氏[きし]なる者の妻であつた。顏立は美しくなかつたが、髮の見事さは誠に輝くばかりである。

公は侍臣に命じて此の女の髮を根本[ねもと]から切取らせた。後宮の寵姫の一人の爲にそれで以て髢[かもじ]を拵へようといふのだ。

丸坊主にされて歸つて來た妻を見ると、夫の己氏は直ぐに被衣を妻にかづかせ、まだ城樓の上に立つてゐる衞侯の姿を睨んだ。役人に笞打たれても、容易に其の場を立去らうとしないのである。

22 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 04:54:17.54 ID:peGtiyCM0.net

ほんま臆病な自尊心と、尊大な羞恥心て的を射た表現やわ

71 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:26:39.89 ID:2/jknmYb0.net

この人の作品全部漢文風なんか?

84 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:39:40.08 ID:BPYGru+R0.net

>>82
高2山月記 高3こゝろやろ

47 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:08:17.85 ID:xPKQXmOS0.net

>>46

58 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:15:38.70 ID:BPYGru+R0.net

 明け暮れ黄河の水ばかり見て過した十年餘りの中に、氣まぐれで我が儘だつた白面の貴公子が、何時か、刻薄で、ひねくれた中年の苦勞人に成上つてゐた。

 荒涼たる生活の中で、唯一つの慰めは、息子の公子疾であつた。
現在の衞公輒とは異腹の弟だが、蒯聵が戚の地に入ると直ぐに、母親と共に父の許に赴き、其處で一緒に暮らすやうになつたのである。志を得たならば必ず此の子を太子にと、蒯聵は固く決めてゐた。

息子の外にもう一つ、彼は一種の棄鉢な情熱の吐け口を鬪戲に見出してゐた。射倖心や嗜虐性の滿足を求める以外に、逞しい雄の姿への美的な耽溺でもある。
餘り裕かでない生活[くらし]の中から莫大な費用を割いて、堂々たる舍を連ね、美しく強い共を養つてゐた。

81 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:37:24.31 ID:BPYGru+R0.net

 男は、部屋の隅に蹲まつてゐた一人の女を招いた。其の女の顏を薄暗い灯の下で見た時、公は思はずの死骸を取り落し、殆ど倒れようとした。被衣を以て頭を隱した其の女こそは、紛れもなく、公の寵姫の髢のために髮を奪はれた己氏の妻であつた。

「許せ」と嗄れた聲で公は言つた。「許せ。」
 公は顫へる手で身に佩びた美玉をとり外して、己氏の前に差出した。
「これをやるから、どうか、見逃して呉れ。」
 己氏は蕃刀の鞘を拂つて近附きながら、ニヤリと笑つた。
「お前を殺せば、璧[たま]が何處かへ消えるとでもいふのかね?」
 これが衞侯蒯聵の最期であつた。

78 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:35:45.88 ID:BPYGru+R0.net

 月の出ぬ間の暗さに乘じて逃れねばならぬ。諸公子・侍臣等の少數を從へ、例の高冠昂尾の愛 月の出ぬ間の暗さに乘じて逃れねばならぬ。

諸公子・侍臣等の少數を從へ、例の高冠昂尾の愛雞を自ら抱いて公は後門を踰える。慣れぬこととて足を踏み外して墜ち、したたか股を打ち脚を挫いた。
手當をしてゐる暇は無い。侍臣に扶けられつつ、眞暗な曠野を急ぐ。兎にも角にも夜明迄に國境を越えて宋の地に入らうとしたのである。

大分歩いた頃、突然空がぼうつと仄黄色く野の黒さから離れて浮上つたやうな感じがした。月が出たのである。何時かの夜夢に起されて公宮の露臺から見たのとまるでそつくりの赤銅色に濁つた月である。

いやだなと莊公が思つた途端、左右の叢から黒い人影がばらゞゝと立現れて、打つて掛つた。剽盜か、それとも追手か。考へる暇もなく激しく鬪はねばならなかつた。

諸公子も侍臣等も大方は討たれ、それでも公は唯獨り草に匍ひつつ逃れた。立てなかつたために却つて見逃されたのでもあらう。

68 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:23:23.93 ID:BPYGru+R0.net

 晉の趙簡子の所から莊公に使が來た。衞侯亡命の砌、及ばず乍ら御援け申した所、歸國後一向に御挨拶が無い。御自身に差支へがあるなら、せめて太子なりと遣はされて、晉侯に一應の御挨拶がありたい、といふ口上である。

かなり威猛高な此の文言に、莊公は又しても己の過去の慘めさを思出し、少からず自尊心を害した。國内に未だ紛爭[ごたごた]が絶えぬ故、今暫く猶豫され度い、と、取敢へず使を以て言はせたが、其の使者と入れ違ひに衞の太子からの密使が晉に屆いた。

父衞侯の返辭は單なる遁辭で、實は、以前厄介になつた晉國が煙たさ故の・故意の延引なのだから、欺されぬやうに、との使である。一日も早く父に代り度いが爲の策謀と明らかに知れ、趙簡子も流石に些か不快だつたが、一方衞侯の忘恩も又必ず懲さねばならぬと考へた。

6 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 04:48:00.41 ID:BPYGru+R0.net

一方、之は、己の詩業に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遙か高位に進み、彼が昔、鈍物として齒牙にもかけなかつた其の連中の下命を拜さねばならぬことが、往年の秀才李徴の自尊心を如何に傷つけたかは、想像に難くない。

彼は怏々として樂しまず、狂悖の性は愈々抑へ難くなつた。

10 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 04:49:23.08 ID:BPYGru+R0.net

殘月の光をたよりに林中の草地を通つて行つた時、果して一匹の猛虎が叢の中から躍り出た。虎は、あはや袁に躍りかかるかと見えたが、忽ち身を飜して、元の叢に隱れた。

叢の中から人間の聲で「あぶない所だつた」と繰返し呟くのが聞えた。其の聲に袁は聞き憶えがあつた。驚懼の中にも、彼は咄嗟に思ひあたつて、叫んだ。「其の聲は、我が友、李徴子ではないか?」

袁傪は李徴と同年に進士の第に登り、友人の少かつた李徴にとつては、最も親しい友であつた。温和な袁傪の性格が、峻峭な李徴の性情と衝突しなかつたためであらう。

 叢の中からは、暫く返辭が無かつた。しのび泣きかと思はれる微かな聲が時々洩れるばかりである。ややあつて、低い聲が答へた。「如何にも自分は隴西の李徴である」と。

83 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:39:04.07 ID:BPYGru+R0.net

(昭和17年7月)

79 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:35:53.15 ID:y1Fu+O8s0.net

地元一の進学校に行ってこれ習って結局ニートだもんなぁ
友は一度も止まることなく東大→院→国家一種ですよ。これと武蔵はキツイわ

69 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:24:57.28 ID:BPYGru+R0.net

 其の年の秋の或夜、莊公は妙な夢を見た。

 荒涼たる曠野に、檐[のき]も傾いた古い樓臺が一つ聳え、そこへ一人の男が上つて、髮を振り亂して叫んでゐる。「見えるわ。見えるわ。瓜、一面の瓜だ。」見覺えのあるやうな所と思つたら其處は古の昆吾氏の墟[あと]で、成程到る所累々たる瓜ばかりである。
小さき瓜を此の大きさに育て上げたのは誰だ? 慘めな亡命者を時めく衞侯に迄守り育てたのは誰だ? と樓上で狂人の如く地團駄を踏んで喚いてゐる彼の男の聲にも、どうやら聞き憶えがある。
おやと思つて聞き耳を立てると、今度は莫迦にはつきり聞えて來た。「俺は渾良夫だ。俺に何の罪があるか! 俺に何の罪があるか!」

 莊公は、びつしより汗をかいて眼を覺した。いやな氣持であつた。

不快さを追拂はうと露臺へ出て見る。遲い月が野の果に出た所であつた。赤銅色に近い・紅く濁つた月である。公は不吉なものを見たやうに眉を顰め、再び室に入つて、氣になるままに灯の下で自ら筮竹を取つた。

18 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 04:51:44.20 ID:k+zLzYPDM.net

いまだにこれのストーリー覚えとるやつって発達障害やろ

12 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 04:49:45.21 ID:BPYGru+R0.net

 袁傪は恐怖を忘れ、馬から下りて叢に近づき、懷かしげに久濶を叙した。そして、何故叢から出て來ないのかと問うた。李徴の聲が答へて言ふ。

自分は今や異類の身となつてゐる。どうして、おめゝゝと故人の前にあさましい姿をさらせようか。且つ又、自分が姿を現せば、必ず君に畏怖嫌厭の情を起させるに決つてゐるからだ。

しかし、今、圖らずも故人に遇ふことを得て、愧赧の念をも忘れる程に懷かしい。どうか、ほんの暫くでいいから、我が醜惡な今の外形を厭はず、曾て君の友李徴であつた此の自分と話を交して呉れないだらうか。

40 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:03:54.10 ID:Wbb4VudeM.net

大して見られてもないのに黙々とコピペしとる奴って発達障害だよな

13 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 04:49:54.52 ID:scVl2H3ad.net

これの感想文書かされたわ

42 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:04:46.60 ID:BPYGru+R0.net

>>40
こんな時間に起きてる時点で同類やろ

72 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:26:53.44 ID:ZzS73IDp0.net

おっきたな

41 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:04:01.83 ID:BPYGru+R0.net

(昭和17年2月發表)

60 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:16:31.79 ID:BPYGru+R0.net

 周の敬王の四十年、閏十二月某日蒯聵は良夫に迎へられて長驅都に入つた。

薄暮女裝して孔氏の邸に潛入、姉の伯姫や揮良夫と共に、孔家の當主衞の上卿たる・甥の孔悝[こうくわい](伯姫からいへば息子)を脅し、之を一味に入れてクウ・デ・タアを斷行した。

子・衞侯は即刻出奔、父・太子が代つて立つ。即ち衞の莊公である。南子に逐はれて國を出てから實に十七年目であつた。

82 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:38:46.92 ID:RNFXRyU80.net

中1 少年の日の思い出
中2 走れメロス
中3 故郷
高1 羅生門
高2 こころ
高3 山月記
の6区黄金リレーやぞ

19 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 04:52:35.39 ID:BPYGru+R0.net

自分は初め眼を信じなかつた。次に、之は夢に違ひないと考へた。夢の中で、之は夢だぞと知つてゐるやうな夢を、自分はそれ迄に見たことがあつたから。

どうしても夢でないと悟らねばならなかつた時、自分は茫然とした。さうして、懼れた。全く、どんな事でも起り得るのだと思うて、深く懼れた。

しかし、何故こんな事になつたのだらう。分らぬ。全く何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取つて、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。

11 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 04:49:37.57 ID:+FOy2pEk0.net

今更だけどこれ唐の時代がモデル?なら科挙受かってもあんまり出世できないやろたしか

57 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:14:32.77 ID:BPYGru+R0.net

 最早(曾ては愛らしかつた)己の息子の輒は存在しない。己の當然嗣ぐべき位を奪つた・そして執拗に己の入國を拒否する・貪欲な憎むべき・若い衞侯が在るだけである。

曾ては自分の目をかけてやつた諸大夫連が、誰一人機嫌伺ひにさへ來ようとしない。
みんな、あの若い傲慢な衞侯と、それを輔ける・しかつめらしい老獪な上卿・孔叔圉[こうしゆくぎよ](自分の姉の夫に當る爺さんだが)の下で、蒯聵などといふ名前は昔からてんで聞いたこともなかつたやうな顏をして樂しげに働いてゐる。

23 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 04:55:02.37 ID:BPYGru+R0.net

>>11
いうて家柄良くない人間の出世する手段ほかにそうないやろ
結果的に俗悪な大官に膝屈するかも知れんけどな

李徴は家柄悪くないと思うが

63 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:18:39.51 ID:BPYGru+R0.net

 前から考へてゐた通り、己と亡命の苦を共にした公子疾を彼は直ちに太子と立てた。

まだほんの少年と思つてゐたのが、何時しか堂々たる青年の風を備へ、それに、幼時から不遇の地位にあつて人の心の裏ばかりを覗いて來たせゐか、年に似合はぬ無氣味な刻薄さをチラリと見せることがある。

幼時の溺愛の結果が、子の不遜と父の讓歩といふ形で、今に到る迄殘り、はたの者には到底不可解な氣の弱さを、父は此の子の前にだけ示すのである。此の太子疾と、大夫に昇つた渾良夫とだけが、莊公にとつての腹心といつてよかつた。 

48 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:08:25.85 ID:BPYGru+R0.net

>>44
大体そうやないのやったことない人間ほとんど見たことないし

>>46
なんでそのフォントにしてんねん草

8 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 04:48:55.19 ID:BPYGru+R0.net

 翌年、監察御史、陳郡の袁傪といふ者、勅命を奉じて嶺南に使し、途に商於の地に宿つた。

次の朝未だ暗い中に出發しようとした所、驛吏が言ふことに、これから先の道に人喰虎が出る故、旅人は白晝でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、今少し待たれたが宜しいでせうと。

袁傪は、しかし、供廻りの多勢なのを恃み、驛吏の言葉を斥けて、出發した。

46 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:06:52.60 ID:pSl+V0Wk0.net

フォントを教科書体にしてたから完全に教科書のそれ

37 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:02:40.16 ID:BPYGru+R0.net

 漸く四邊の暗さが薄らいで來た。木の間を傳つて、何處からか、曉角が哀しげに響き始めた。

 最早、別れを告げねばならぬ。醉はねばならぬ時が、(虎に還らねばならぬ時が)近づいたから、と、李徴の聲が言つた。だが、お別れする前にもう一つ頼みがある。それは我が妻子のことだ。

彼等は未だ虢略にゐる。固より、己れの運命に就いては知る筈がない。君が南から歸つたら、己れは既に死んだと彼等に告げて貰へないだらうか。決して今日のことだけは明かさないで欲しい。
厚かましいお願だが、彼等の孤弱を憐れんで、今後とも道塗に飢凍することのないやうにはからつて戴けるならば、自分にとつて、恩倖、之に過ぎたるは莫い。

24 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 04:55:49.77 ID:BPYGru+R0.net

しかし、その、人間にかへる數時間も、日を經るに從つて次第に短くなつて行く。今迄は、どうして虎などになつたかと怪しんでゐたのに、此の間ひよいと氣が付いて見たら、己れはどうして以前、人間だつたのかと考へてゐた。之は恐しいことだ。

今少し經てば、己れの中の人間の心は、獸としての習慣の中にすつかり埋れて消えて了ふだらう。恰度、古い宮殿の礎が次第に土砂に埋沒するやうに。

さうすれば、しまひに己れは自分の過去を忘れ果て、一匹の虎として狂ひ廻り、今日の樣に途で君と出會つても故人と認めることなく、君を裂き喰うて何の悔も感じないだらう。

一體、獸でも人間でも、もとは何か他のものだつたんだらう。初めはそれを憶えてゐたが、次第に忘れて了ひ、初めから今の形のものだつたと思ひ込んでゐるのではないか? いや、そんな事はどうでもいい。

35 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:01:52.35 ID:BPYGru+R0.net

己れには最早人間としての生活は出來ない。たとへ、今、己れが頭の中で、どんな優れた詩を作つたにした所で、どういふ手段で發表できよう。まして、己れの頭は日毎に虎に近づいて行く。どうすればいいのだ。己れの空費された過去は? 己れは堪らなくなる。

77 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:34:11.04 ID:EJPVsu/z0.net

おはよう😳

75 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:31:37.87 ID:BPYGru+R0.net

>>71
古代が舞台の作品と現代が舞台の作品がある
現代が舞台のは漢文調ではないし
古代がでも古代シュメールが舞台の文字禍とかは違うで

9 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 04:49:01.87 ID:pJCm+sZ3M.net

はえー

26 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 04:56:54.75 ID:BPYGru+R0.net

 袁傪はじめ一行は、息をのんで、叢中の聲の語る不思議に聞入つてゐた。聲は續けて言ふ。

 他でもない。自分は元來詩人として名を成す積りでゐた。しかも、業未だ成らざるに、この運命に立至つた。曾て作る所の詩數百篇、固より、まだ世に行はれてをらぬ。遺稿の所在も最早判らなくなつてゐよう。

所で、その中、今も尚記誦せるものが數十ある。之を我が爲に傳録して戴き度いのだ。何も、之に仍つて一人前の詩人面をしたいのではない。

作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂はせて迄自分が生涯それに執著した所のものを、一部なりとも後代に傳へないでは、死んでも死に切れないのだ。

55 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:12:57.61 ID:BPYGru+R0.net

 厚遇とはいつても、故國にゐた頃の身分とは違ふ。平野の打續く衞の風景とは凡そ事變つた・山勝ちの絳[かう]の都に、侘しい三年の月日を送つた後、太子は遙かに父衞公の訃を聞いた。

噂によれば、太子のゐない衞國では、已むを得ず蒯聵の子・輒[てふ]を立てゝ、位に即かせたといふ。國を出奔する時後に殘して來た男の兒である。

當然自分の異母弟の一人が選ばれるものと考へてゐた蒯聵は、一寸妙な氣がした。あの子供が衞侯だと? 三年前のあどけなさを考へると、急に可笑しくなつて來た。直ぐにも故國に歸つて自分が衞侯となるのに、何の造作も無いやうに思はれる。

39 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:03:40.25 ID:BPYGru+R0.net

 袁傪は叢に向つて、懇ろに別れの言葉を述べ、馬に上つた。叢の中からは、又、堪へ得ざるが如き悲泣の聲が洩れた。袁傪も幾度か叢を振返りながら、涙の中に出發した。

 一行が丘の上についた時、彼等は、言はれた通りに振返つて、先程の林間の草地を眺めた。忽ち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼等は見た。

虎は、既に白く光を失つた月を仰いで、二聲三聲咆哮したかと思ふと、又、元の叢に躍り入つて、再び其の姿を見なかつた。

33 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:00:59.36 ID:BPYGru+R0.net

己れは詩によつて名を成さうと思ひながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交つて切磋琢磨に努めたりすることをしなかつた。

かといつて、又、己れは俗物の間に伍することも潔しとしなかつた。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所爲である。

己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨かうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出來なかつた。

己れは次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによつて益々己の内なる臆病な自尊心を飼ひふとらせる結果になつた。

人間は誰でも猛獸使であり、その猛獸に當るのが、各人の性情だといふ。己れの場合、この尊大な羞恥心が猛獸だつた。虎だつたのだ。之が己を損ひ、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形を斯くの如く、内心にふさはしいものに變へて了つたのだ。

4 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 04:47:29.68 ID:X6ea9+dWd.net

ぐおおおおお

70 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:26:08.65 ID:BPYGru+R0.net

 翌朝、筮師を召して其の卦を判ぜしめた。害無しと言ふ。
公は欣び、賞として領邑を與へることにしたが、筮師は公の前を退くと直ぐに倉皇として國外に逃れた。現れた通りの卦を其の儘傳へれば不興を蒙ること必定故、一先づ僞つて公の前をつくろひ、さて、後に一散に逃亡したのである。

公は改めて卜した。その卦兆の辭を見るに「魚の疲れ病み、赤尾を曳きて流に横たはり、水邊を迷ふが如し。大國これを滅ぼし、將に亡びんとす。城門と水門とを閉ぢ、乃ち後より踰[こ]えん」とある。
大國とあるのが、晉であらうことだけは判るが、其の他の意味は判然しない。兎に角、衞侯の前途の暗いものであることだけは確かと思はれた。

5 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 04:47:33.29 ID:BPYGru+R0.net

しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は漸く焦躁に驅られて來た。この頃から其の容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒らに烱々として、曾て進士に登第した頃の豐頬の美少年の俤は、何處に求めやうもない。

數年の後、貧窮に堪へず、妻子の衣食のために遂に節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになつた。

64 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:19:31.51 ID:BPYGru+R0.net

 或夜、莊公は渾良夫に向つて、先の衞侯輒が出奔に際し累代の國の寶器をすつかり持去つたことを語り、如何にして取戻すべきかを計つた。

良夫は燭を執る侍者を退席させ、自ら燭を持つて公に近付き、低聲に言つた。亡命された前衞侯も現太子も同じく君の子であり、父たる君に先立つて位に在られたのも皆自分の本心から出たことではない。
いつそ此の際前衞侯を呼戻し、現太子と其の才を比べて見て優れた方を改めて太子に定められては如何。若し不才だつたなら、其の時は寶器だけを取上げられれば宜い譯だ。……

62 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:18:11.10 ID:BPYGru+R0.net

己の亡命の因であつた先君の夫人南子が前年亡くなつてゐたことは、彼にとつて最大の痛恨事であつた。あの姦婦を捕へてあらゆる辱しめを加へ其の揚句極刑に處してやらうといふのが、亡命時代の最も愉しい夢だつたからである。

過去の己に對して無關心だつた諸重臣に向つて彼は言つた。余は久しく流離の苦を嘗め來たつた。どうだ。諸子にもたまにはさういふ經驗が藥だらうと。此の一言で直ちに國外に奔つた大夫も二三に止まらない。

姉の伯姫と甥の孔悝とには、固より大いに酬いる所があつたが、一夜宴に招いて大いに醉はしめた後、二人を馬車に乘せ、御者に命じて其の儘國外に驅り去らしめた。

衞侯となつてからの最初の一年は、誠に憑かれた樣な復讐の月日であつた。空しく流離の中に失はれた青春の埋合せの爲に、都下の美女を漁つては後宮に納れたことは附加へるまでもない。

73 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:27:10.43 ID:BPYGru+R0.net

 殘年の短かさを覺悟させられた莊公は、晉國の壓迫と太子の專横とに對して確乎たる處置を講ずる代りに、暗い豫言の實現する前に少しでも多くの快樂を貪らうと只管にあせるばかりである。

大規模の工事が相繼いで起され過激な勞働が強制されて、工匠石匠等の怨嗟の聲が巷に滿ちた。一時忘れられてゐた鬪戲への耽溺も再び始まつた。

雌伏時代とは違つて、今度こそ思ひ切り派手に此の娯しみに耽る事が出來る。金と權勢とにかして國内國外から雄の優れたものが悉く集められた。
殊に、魯の一貴人から購め得た一羽の如き、羽毛は金の如く距[けづめ]は鐵の如く、高冠昂尾[かうくわんかうび]、誠に稀に見る逸物である。後宮に立入らぬ日はあつても、衞侯が此のの毛を立て翼を奮ふ状を見ない日は無かつた。

53 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:11:28.43 ID:BPYGru+R0.net

 宋に奔り、續いて晉に逃れた太子蒯聵は、人毎に語つて言つた。淫婦刺殺といふ折角の義擧も臆病な莫迦者の裏切によつて失敗したと。

之も矢張衞から出奔した戲陽速が此の言葉を傳へ聞いて、斯う酬いた。とんでもない。こちらの方こそ、すんでの事に太子に裏切られる所だつたのだ。
太子は私を脅して、自分の義母を殺させようとした。承知しなければ屹度私が殺されたに違ひないし、もし夫人を巧く殺せたら、今度は必ず其の罪をなすりつけられるに決つてゐる。私が太子の言を承諾して、しかも實行しなかつたのは、深謀遠慮の結果なのだと。

66 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:21:27.65 ID:BPYGru+R0.net

 翌年の春、莊公は郊外の遊覽地籍圃[せきほ]に一亭を設け、墻塀、器具、緞帳の類を凡て虎の模樣一式で飾つた。落成式の當日、公は華やかな宴を開き、衞國の名流は綺羅を飾つて悉く此の地に會した。

渾良夫はもとゝゝ小姓上りとて派手好みの伊達男である。此の日彼は紫衣に狐裘[こきう]を重ね、牡馬二頭立の豪奢な車を驅つて宴に赴いた。

自由な無禮講のこととて、別に劍を外しもせずに食卓に就き、食事半ばにして暑くなつたので、裘を脱いだ。

此の態を見た太子は、いきなり良夫に躍りかかり、胸倉を掴んで引摺り出すと、白刃を其の鼻先に突きつけて詰つた。君寵を恃んで無禮を働くにも程があるぞ。君に代つて此の場で汝を誅するのだ。

17 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 04:51:25.25 ID:BPYGru+R0.net

 今から一年程前、自分が旅に出て汝水のほとりに泊つた夜のこと、一睡してから、ふと眼を覺ますと、戸外で誰かが我が名を呼んでゐる。聲に應じて外へ出て見ると、聲は闇の中から頻りに自分を招く。覺えず、自分は聲を追うて走り出した。

無我夢中で駈けて行く中に、何時しか途は山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は左右の手で地を攫んで走つてゐた。何か身體中に力が充ち滿ちたやうな感じで、輕々と岩石を跳び越えて行つた。氣が付くと、手先や肱のあたりに毛を生じてゐるらしい。

少し明るくなつてから、谷川に臨んで姿を映して見ると、既に虎となつてゐた。

32 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:00:00.62 ID:BPYGru+R0.net

 時に、殘月、光冷やかに、白露は地に滋く、樹間を渡る冷風は既に曉の近きを告げてゐた。人々は最早、事の奇異を忘れ、肅然として、この詩人の薄倖を嘆じた。李徴の聲は再び續ける。

 何故こんな運命になつたか判らぬと、先刻は言つたが、しかし、考へやうに依れば、思ひ當ることが全然ないでもない。

人間であつた時、己れは努めて人との交を避けた。人々は己れを倨傲だ、尊大だといつた。實は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかつた。

勿論、曾ての郷黨の秀才だつた自分に、自尊心が無かつたとは云はない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいふべきものであつた。

27 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 04:57:13.74 ID:BPYGru+R0.net

 袁傪は部下に命じ、筆を執つて叢中の聲に隨つて書きとらせた。李徴の聲は叢の中から朗々と響いた。長短凡そ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一讀して作者の才の非凡を思はせるものばかりである。

しかし、袁傪は感嘆しながらも漠然と次の樣に感じてゐた。成程、作者の素質が第一流に屬するものであることは疑ひない。しかし、この儘では、第一流の作品となるのには、何處か(非常に微妙な點に於て)缺ける所があるのではないか、と。

20 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 04:53:41.47 ID:BPYGru+R0.net

自分は直ぐに死を想うた。しかし、其の時、眼の前を一匹の兎が駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中の人間は忽ち姿を消した。

再び自分の中の人間が目を覺ました時、自分の口は兎の血に塗れ、あたりには兎の毛が散らばつてゐた。之が虎としての最初の經驗であつた。

それ以來今迄にどんな所行をし續けて來たか、それは到底語るに忍びない。ただ、一日の中に必ず數時間は、人間の心が還つて來る。さういふ時には、曾ての日と同じく、人語も操れれば、複雜な思考にも堪へ得るし、經書の章句をも誦ずることも出來る。

その人間の心で、虎としての己の殘虐な行のあとを見、己の運命をふりかへる時が、最も情なく、恐しく、憤ろしい。

34 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:01:32.04 ID:BPYGru+R0.net

今思へば、全く、己れは、己れの有つてゐた僅かばかりの才能を空費して了つた譯だ。

人生は何事をも爲さぬには餘りに長いが、何事かを爲すには餘りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事實は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭ふ怠惰とが己れの凡てだつたのだ。

己れよりも遙かに乏しい才能でありながら、それを專一に磨いたがために、堂々たる詩家となつた者が幾らでもゐるのだ。虎と成り果てた今、己れは漸くそれに氣が付いた。それを思ふと、己れは今も胸を灼かれるやうな悔を感じる。

44 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:05:49.64 ID:xpFyA3tO0.net

高校の国語の教科書てどこの会社もこれ採用してるんかな

76 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:32:04.93 ID:BPYGru+R0.net

 冬、西方からの晉軍の侵入と呼應して、大夫・石圃[せきほ]なる者が兵を擧げ、衞の公宮を襲うた。衞侯の己を除かうとしてゐるのを知り先手を打つたのである。一説には又、太子疾との共謀によるのだともいふ。

 莊公は城門を悉く閉ぢ、自ら城樓に登つて叛軍に呼び掛け、和議の條件を種々提示したが石圃は頑として應じない。やむなく寡い手兵を以て禦がせてゐる中に夜に入つた。

56 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:13:56.28 ID:BPYGru+R0.net

 亡命太子は趙簡子の軍に擁せられて意氣揚々と黄河を渡つた。愈衞の地である。戚[せき]の地迄來ると、しかし、其處からは最早一歩も東へ進めないことが判つた。太子の入國を拒む新衞侯の軍勢の邀撃に遇つたからである。

戚の城に入るのでさへ、喪服をまとひ父の死を哭しつゝ、土地の民衆の機嫌をとりながらはひらなければならぬ始末であつた。事の意外に腹を立てたが仕方が無い。

故國に片足突つ込んだ儘、彼は其處に留まつて機を待たねばならなかつた。それも、最初の豫期に反し、凡そ十三年の長きに亙つて。

52 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:10:55.92 ID:BPYGru+R0.net

 太子は齊から歸ると、側臣の戲陽速[ぎやうそく]を呼んで事を謀つた。

翌日、太子が南子夫人に挨拶に出た時、戲陽速は既に匕首を呑んで室の一隅の幕の陰に隱れてゐた。さりげなく話をしながら太子は幕の陰に目くばせをする。急に臆したものか、刺客は出て來ない。三度合圖をしても、たゞ黒い幕がごそゞゝ搖れるばかりである。

太子の妙なそぶりに夫人は氣が付いた。太子の視線を辿り、室の一隅に怪しい者の潛んでゐるのを知ると、夫人は悲鳴を擧げて奧へ跳び込んだ。

其の聲に驚いて靈公が出て來る。夫人の手を執つて落着けようとするが、夫人は唯狂氣のやうに「太子が妾を殺します。太子が妾を殺します」と繰返すばかりである。靈公は兵を召して太子を討たせようとする。其の時分には太子も刺客も疾うに都を遠く逃げ出してゐた。

67 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:22:35.14 ID:BPYGru+R0.net

 腕力に自信の無い良夫は強ひて抵抗もせず、莊公に向つて哀願の視線を送りながら、叫ぶ。嘗て御主君は死罪三件まで之を免ぜんと我に約し給うた。されば、假令今我に罪ありとするも、太子は刃を加へることが出來ぬ筈だ。

 三件とや? 然らば汝の罪を數へよう。汝今日、國君の服たる紫衣をまとふ。罪一つ。天子直參の上卿用たる衷甸兩牡[ちゆうじようりやうぼ]の車に乘る。罪二つ。君の前にして裘を脱ぎ、劍を釋[と]かずして食ふ。罪三つ。

 それだけで丁度三件。太子は未だ我を殺すことは出來ぬ、と、必死にもがきながら良夫が叫ぶ。

 いや、まだある。忘れるなよ。先夜、汝は主君に何を言上したか? 君侯父子を離間しようとする佞臣奴!

 良夫の顏色がさつと紙の樣に白くなる。
 之で汝の罪は四つだ。といふ言葉も終らぬ中に、良夫の頸はがつくり前に落ち、黒地に金で猛虎を刺繍した大緞帳に鮮血がさつと迸る。
 莊公は眞蒼な顏をした儘、默つて息子のすることを見てゐた。

28 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 04:57:56.05 ID:/2tFeFxI0.net

はえ〜サンガツのライオン

43 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:05:39.58 ID:9ztdApaba.net

ツイッターに山月記botあったな
まだやってるんやろか

80 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:36:49.32 ID:BPYGru+R0.net

 氣が付いて見ると、公はまだ雞をしつかり抱いてゐる。先程から鳴聲一つ立てないのは、疾うに死んで了つてゐたからである。それでも捨て去る氣になれず、死んだ雞を片手に、匍つて行く。

 原の一隅に、不思議と、人家らしいもののかたまつた一郭が見えた。公は漸く其處迄辿り着き、氣息奄々たる樣でとつつきの一軒に匍ひ込む。扶け入れられ、差出された水を一杯飮み終つた時、到頭來たな! といふ太い聲がした。
驚いて眼を上げると、此の家の主人らしい・赭ら顏の・前齒の大きく飛出た男がじつと此方を見詰めてゐる。一向に見憶えが無い。

「見憶えが無い? さうだらう。だが、此奴なら憶えてゐるだらうな。」

36 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:02:14.64 ID:BPYGru+R0.net

さういふ時、己れは、向うの山の頂の巖に上り、空谷に向つて吼える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴へたいのだ。己れは昨夕も、彼處で月に向つて咆えた。誰かに此の苦しみが分つて貰へないかと。

しかし、獸どもは己れの聲を聞いて、唯、懼れ、ひれ伏すばかり。山も樹も月も露も、一匹の虎が怒り狂つて、哮つてゐるとしか考へない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己れの氣持を分つて呉れる者はない。

恰度、人間だつた頃、己れの傷つき易い内心を誰も理解して呉れなかつたやうに。己れの毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない。

65 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:20:20.41 ID:BPYGru+R0.net

 其の部屋の何處かに密偵が潛んでゐたものらしい。愼重に人拂ひをした上での此の密談が其の儘太子の耳に入つた。

 次の朝、色を作した太子疾が白刃を提げた五人の壯士を從へて父の居間へ闖入する。太子の無禮を叱咤するどころではなく、莊公は唯色蒼ざめて戰くばかりである。

太子は從者に運ばせた牡豚を殺して父に盟はしめ、太子としての己の位置を保證させ、さて揮良夫の如き奸臣はたちどころに誅すべしと迫る。あの男には三度迄死罪を免ずる約束がしてあるのだと公が言ふ。

それでは、と太子は父を威すやうに念を押す。四度目の罪がある場合には間違ひなく誅戮なさるでせうな。すつかり氣を呑まれた莊公は唯々として「諾」と答へるほかは無い。

51 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:10:04.58 ID:BPYGru+R0.net

 父・靈公の夫人(といつても太子の母ではない)南子[なんし]は宋の國から來てゐる。容色よりも寧ろ其の才氣で以てすつかり靈公をまるめ込んでゐるのだが、此の夫人が最近靈公に勸め、宋から公子朝といふ者を呼んで衞の大夫に任じさせた。

宋朝は有名な美男である。衞に嫁ぐ以前の南子と醜關係があつたことは、靈公以外の誰一人として知らぬ者は無い。二人の關係は今衞の公宮で再び殆どおほつぴらに續けられてゐる。宋の野人の歌うた牝豚牡豚とは、疑ひもなく、南子と宋朝とを指してゐるのである。

15 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 04:50:25.90 ID:tAd9LgFL0.net

その声は

54 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 05:12:20.63 ID:BPYGru+R0.net

 晉では當時范氏[はんし]中行氏[ちうかうし]の亂で手を燒いてゐた。齊・衞の諸國が叛亂者の尻押をするので、容易に埒があかないのである。

 晉に入つた衞の太子は、此の國の大黒柱たる趙簡子[てうかんし]の許に身を寄せた。趙氏が頗る厚遇したのは、此の太子を擁立することによつて、反晉派たる現在の衞侯に楯突かうとしたに外ならぬ。

7 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 04:48:20.10 ID:BPYGru+R0.net

一年の後、公用で旅に出、汝水のほとりに宿つた時、遂に發狂した。

或夜半、急に顏色を變へて寢床から起上ると、何か譯の分らぬことを叫びつつ其の儘下にとび下りて、闇の中へ駈出した。

彼は二度と戻つて來なかつた。附近の山野を搜索しても、何の手掛りもない。その後李徴がどうなつたかを知る者は、誰もなかつた。

3 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 04:46:34.96 ID:BPYGru+R0.net

 隴西の李徴は博學才穎、天寶の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃む所頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかつた。

いくばくもなく官を退いた後は、故山、虢略に歸臥し、人と交を絶つて、ひたすら詩作に耽つた。下吏となつて長く膝を俗惡な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺さうとしたのである。

2 :風吹けば名無し:2019/06/13(木) 04:46:08.35 ID:BPYGru+R0.net

山月記 中島敦

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